6月4日のクリス・マーティンセンとのインタビューでも話題にしていたのでしたが、今度はCNNの6月7日付インタビューで、ガンダーセンがまた気になることを言っています。ホット・パーティクルがシアトルで検出されたというのです。東京でも検出されているとも。残念ですが、いわきに来てないはずがないのでは?
http://www.youtube.com/watch?v=LEd_p6RhjJQ&feature=player_embedded
ホット・パーティクルは英語版のWIKIには載ってました。日本語版はありません。世界中に漂っている核の灰中では10ナノから20マイクロメートル、原発事故などの周辺地域ではそれより大きな粒100マイクロメートルから数ミリまで。原爆投下後の黒い雨や、核実験、コスモス衛星の墜落とか、発生原因はいろいろのようです。危険度については、このままは信じたくないような書き方をしてます。同じ線量でも外部被ばくに比べて数桁違うほど危険ということですよね。一方で原発推進派の医学者たちはホット・パーティクルの危険性について認めたくないようです。WIKIに書いているのは当然ECRRのバズビーさんとか「危険厨」の人ということになるでしょうか?
They are several orders of magnitude more dangerous than the same amount of radiation emitted from a large source over the whole body because if ingested or inhaled, they do damage to cells at close proximity
http://en.wikipedia.org/wiki/Hot_particle
プルトニウムが含まれるとは書いてありますが、プルトニウム微粒子のことをこう呼ぶわけではないようです。したがって、ホット・パーティクルすなわちプルトニウム微粒子そのもののように書いている字幕がしつこく繰り返し画面に映し出されるカレイドスコープなどのサイトは、その点では意図的な「煽り」サイトではないかと思います。
http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-610.html
しかし、呼吸によって肺に吸入されれば内部被ばくとして非常に危険性が高いことは素人にも直観的にわかる気がします。MOX燃料を含む使用済み燃料が水素爆発で吹き上げられたのが事実なのですから、福島第一原発からの飛散物の一部にプルトニウムが含まれていることは確実と言っていいことは、どなたにも否定できないでしょう。
中鬼・大鬼や、カレイドスコープなどの、いわゆる「危険厨」と決めつけられかねないブログでは、そうとう具体的に危険度を指摘し、われわれ福島県の住民に即刻避難せよと警告しています。いや確かに相当意図的に「危険」であることを煽っているといってもいい。しかしどうでしょうか。今の私には、もはや政府や東電の公式発表を額面通りになどとても受け入れられないのですが。
この前いわきにいらした武田教授も含めて、一般に専門家の方々は、もう福島原発は力のない原発だから今後は心配ないとおっしゃいます。現在も放射性物質の外部への放出は続いているのですが、3月に比べたら桁違いに低いのだからと。本当にそうなのでしょうか?私には、少なくともここに至るまでの3ヶ月間を振り返ってみる限り、ガンダーセンの分析がことごとく正鵠を射たものだったことを認めざるを得ないのです。本日未明にも、彼が倒壊の危険性を指摘した4号機建屋から白煙が立ち上る様子が捉えられました。霧だという人もいるようですが、真上に勢いよく噴出しているので少なくとも水蒸気か何かではないでしょうか。使用済み燃料プールに異常がなければよいのですが。
http://matome.naver.jp/odai/2130798213761869701
このような告白をするのはためらわれます。
いわきは安全だと信じ、ここにとどまって故郷の復興に命をかけるのだという方々には、実に不愉快な雑音にしか聞こえないでしょう。しかし本当に安全だと信じておられるのでしょうか?もしかしたら歯を食いしばって我慢をしておられる、あるいは腹をくくって語らないことにしているだけなのではないですか?
「あーちゃん号」の記事は、本当に心に沁み入る感動的なお話でした。死してなおその尊い遺志が周りの方々に脈々と受け継がれ、あとに残された人々の福祉に役に立ち続ける。とてもポジティブな、人生肯定的な素敵なメッセージでした。読む人の心に響く記事を書きたい、そして書くことによって読む人の力になりたいという記者の熱い思いが伝わってきました。
しかし残念ながら、もとはといえば彼女の悲劇も癌がもたらしたものでした。現状のままこの地に若い人々がとどまることが、新たな悲劇につながる心配は全くないと言い切れるのでしょうか?それとも命に代えてでも最後までポジティブに生きることがなお価値あることだと奨励されるべきなのでしょうか?
若い人々を目の前に毎日を過ごしているだけに、そして朝の通勤時間帯に集団登校のかわいい小学生たちを目にせざるを得ないだけに、われわれは本当はどうしたらいいのだろうと悩まずにはいられないのです。
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