2011年9月24日土曜日

現場は大変らしい

やっぱりたいへんそうです。政府や業界はマスコミで勝手な楽観論を流しているけど。

もうしわけないな。でも本当のところは何十年かかるか分からないんだし。いずれみんながお手伝いしないといけなくなるような気もします。

作業員の告白「いまだ1万ミリシーベルト検出!作業拒否が続出」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/20537

2011年9月8日木曜日

福島市で国際専門家会議: チェルノブイリ被害の実情はどうだったのか?

ICRPとECRRの基準が違いすぎることに最初から当惑していた。

前者が原子力推進派で、国際機関や各国政府、原子力産業(およびマスコミを含めた関連全産業)が強く後押しするいわゆる「公式」の団体ということになる。ただ「公式」なら信用できるかというと怪しくて、本音のところではできる限り「原子力発電は安全、安心」と言いくるめたい、都合の悪いデータは黙殺し、できれば「無いものとしたい」という姿勢で一貫している。内部被曝についてはほとんど理論的モデルを示さず、健康影響も微々たるものとしてすませてきた。カネと権力にものを言わせて、圧倒的な権威ある陣容を整えて悠然と構えている。一部の批判もどこ吹く風。ほとぼりが冷めたらこの上なくもうかるビジネスとして原発売り込みに再び全面協力する気迫十分。

一方後者は反原発活動市民団体のアジテーションそのもののような勢いで、ヒステリックなまでに意気軒昂。そのぶん安定感に欠け勇み足も多い。か弱き市民の側に立ち、横暴な国家権力に立ち向かう正義の騎士を自認しているようなところがある。50年以上も「無いものとされてきた」広島原爆の放射性降下物による健康被害に苦しむ人々の側に立ち、内部被曝の仕組みについて具体的なモデルを示して、原爆症認定集団訴訟で連戦連勝を勝ち取っていながら、なおマユツバもの、キワモノ的存在と権力側から揶揄され、一般の評価を下げている。世界を動かす巨大権力を向こうに回して、世界そのものといってもよいほどの巨大資本にたてつこうというのだから、ふつうの気合いでは勝負にならない点には同情するが。

双方「科学的」な基準のはずなのだけど、それぞれの思惑が透けて見えすぎて、とても冷静には見比べられない。我々民衆に向かって「放射能の炎を吹く竜」が本物なのか、それともドン・キホーテが対峙しているのは「ただの風車」にすぎないのか、本当はどっちなのだろう。

原発推進派で笹川財団(日本財団)のお金でチェルノブイリの健康調査に協力してきた先生方がフクシマでリスクアドバイザーになったことはどう考えればいいのだろうと思ってた。この先生が「安全、安心」と県内を精力的に講演行脚し、のんきな声が4月当初から連日ラジオで繰り返し流れるのを聞かされながら、私などはかえって「不安」にさせられたものだが、知人に聞くとおかげで「安心」できたという声も確かにあるようだ。

「放射線と健康リスク-世界の英知を結集して福島を考える」と題して、来る11日、12日に福島市で国際専門家会議が開催される。

http://www.nippon-foundation.or.jp/org/news/fukushima-sympo.html

これに対して、チェルノブイリの被害を過小評価してきた大御所たちが、フクシマでもまた同工異曲を奏で始めていると鋭く批判している人がいる。かなり悪意に満ちた意地悪な見方だ。しかし事故直後のいわきに高濃度のヨウ素を含む放射性プルームが飛来していたことは、今頃になって公式に認められた。チェルノブイリでの調査結果として、子供に甲状腺ガンが頻発すること「だけ」は公式認定し、誰よりも多くその症例を目にしてきたはずのご本人が、いわきでも郡山でも福島でも飯舘でも「マスクをしないで外で遊んでいて大丈夫」と語っていた精神構造がいまだに理解できない。

http://mifumiko.blog.fc2.com/blog-entry-145.html

2011年8月30日火曜日

飯舘だけじゃないのかな?

いわきの子供の甲状腺がんが心配だと友人が怒っている。

ぼくは飯舘や伊達、福島の子たちを心配していた。だっていわきは「線量」低いじゃない?

友人に言わせると、3月15日ごろ爆発直後の高濃度プルームをいわきや南相馬の人たちこそが呼吸によって吸い込んでいた可能性が高いというのだ。

しかも原子力安全委員会が3月に測定し、いったんは公表したいわきの子供の甲状腺被ばく量を、個人情報保護の観点でホームページから削除したというのだ。

ぼくは個人が特定されるのを避けるにはやむを得ないかなと思った。だけど同じく怒っている人がいた。

下のほうまでたどっていくと削除された文章が個人情報のみ墨塗りにして貼られている。うーむ、世の中にはマメな人がいるものだ。これをみてしまうと全文削除は別の意図によるとかんがえるしかなくなる。

2011/08/16 nkdm4-annexe より
原子力安全委員会、子供の甲状腺の検査結果を個人の特定とは関係のない、被ばく線量などの情報まで削除
http://nkdm4.blogspot.com/2011/08/blog-post_16.html

当初、東電や政府発表のウソに対して世の中の人が「人がよすぎる」といらだちを感じていた。しかし近ごろでは前みたいに即座には怒りが湧かなくなってきている。ぼくですら麻痺してきたのか?原発ブラブラ病か?はたまた放射線と関係なしにボケが始まったか?

正直子供たちが心配です。4年か5年のうちに、かなりの確率でチェルノブイリと同じ「首輪」を身に着けざるを得なくなるのでは?いったい何の因果で?

長崎大学21世紀COE「放射線医療科学国際コンソーシアム」
http://www-sdc.med.nagasaki-u.ac.jp/coe/jp/activities/elearning/

2の2)「チェルノブイリ原発事故と甲状腺がん」
山下教授は相当詳しく小児甲状腺がんの解説をしてます。高発症率も明言してますが、死亡率は低いという言及も。遺伝子レベルでの変異分析もして、科学への貢献ができたと自賛してます。

初期被ばくを回避させなかったのは山下教授のせいではないのかもしれないけど。にこにこと「安全」「安心」と語ってさらに長くとどまらせた神経はやっぱりわかんないです。

ここに紹介されたご研究を完成させるために私たちの全面的かつ献身的協力が必要なんです・・・よね?





2011年8月14日日曜日

NHK 追跡!AtoZ 【第3夜】福島第一原発 作業員に何が? 8月12日(金)午後10時55分~

昨日の夜中にテレビをつけたらNHKで原発労働者消息不明の謎を追求する番組をやっていた。

http://www.nhk.or.jp/tsuiseki/file/next.html


当然ながらネットでも取りざたされている。
http://togetter.com/li/173924

この件では、初期の作業員中に身分を偽った北朝鮮工作員が多数紛れ込んでいて、汚染水浄化システムに工作し復旧作業の妨害をしていたのではないかなどという憶測さえあった。

どうもこの番組が取材した限りでは全く別の事情があるようだ。ある意味、事故発生以来「安全説」を報道する時のNHKをどこまで信用して良いものか疑わしかったが、このような一種の「スキャンダル」を公共放送に取り上げられると、今度は逆に民報の「煽り」とは違う重みを伴ってズシリと響いてくる。

表向き3次下請け(協力会社と呼ばなければならないのか?)までしか認められない東電による作業員調達が、とっくの昔にうまくゆかなくなっていたというのだ。専門技能工の被曝線量を低減するため、高線量環境下での単純労働には全国から日雇い労働者が集められ、危険な仕事に従事させられているらしい。場合によっては暴力団関係者を含む「手配師」により、偽造身分証明書を貸与して所属企業名を詐称させられて、「借金のカタに」働かされているケースすらあるらしい。被曝線量すら正確には測定されていない可能性さえほのめかす証言には戦慄と嫌悪感を覚えた。ことは過去の話ではなく、現在も進行中。先の改善の見込みも薄いようだ。

以前知人に聞いた話では、危険な作業を「協力企業」に完全丸投げしていたのは過去の話で、少なくとも事故後は東電「正社員」が率先してリスクを取って命がけの作業をしてくれているはずだったのだが。私たちだって作業員に被曝リスクを肩代わりさせて日々の安穏を担保してもらっている事実に変わりはないのだが。

もしこのNHK番組の示唆するところが真相だとすると、この業界を巡る「労働問題」あるいは「差別問題」は、「原発ジプシー」に描かれた世界から、まったく進歩していないことになる。

堀江 邦夫「原発ジプシー」 増補改訂版 ―被曝下請け労働者の記録 [単行本]
http://www.amazon.co.jp/%E5%8E%9F%E7%99%BA%E3%82%B8%E3%83%97%E3%82%B7%E3%83%BC-%E5%A2%97%E8%A3%9C%E6%94%B9%E8%A8%82%E7%89%88-%E2%80%95%E8%A2%AB%E6%9B%9D%E4%B8%8B%E8%AB%8B%E3%81%91%E5%8A%B4%E5%83%8D%E8%80%85%E3%81%AE%E8%A8%98%E9%8C%B2-%E5%A0%80%E6%B1%9F-%E9%82%A6%E5%A4%AB/dp/4768456596/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1313252052&sr=1-1

調査報告/原子力発電所における秘密 日本の原発奴隷
http://www.jca.apc.org/mihama/rosai/elmundo030608.htm

しかもかく言う自分だって、したり顔で国や原子力産業と東電を糾弾しているつもりが、結局のところ我が身の安全も「匿名」の誰かの「犠牲」の上に成り立っているといういわば「原罪」を反芻せざるを得ないわけで、苦々しいことこの上ない。せめて中間搾取が最小で現場でリスクを負う人の対価が最大となりますように、なんて祈ってみたところで、なんの役にも立たないことは明白。人道主義的なきれい事を口にしてみても「弱肉強食」のシステムを結局は是認しているということなのか。

2011年8月10日水曜日

リスクについて考えてみたい

リスクアドバイザーという肩書きが存在する。専門家がその専門性と権威を盾に大衆に向かいリスクについて語るとき、はたして語り手は自らが「語るリスク」について十分自覚できているものだろうか?

リスクについて震災以前から研究してこられた研究者集団がいる。私たち大衆にもわかることばで貴重な示唆を与えてくれている。

持続可能な社会実現に向けた評価研究部門 | 産総研 AIST RISS 産総研:安全科学研究部門
岸本充生 「リスク評価はそもそも不確実な状態を評価する科学である。」 2011/02/28 
http://www.aist-riss.jp/main/modules/column/atsuo-kishimoto006.html

BSE対策として何ら明確な姿勢を示せなかった食品安全委員会を批判する文章はこうだ。厳しくその存在意義を問うている。
「自らを「科学的知見に基づき客観的かつ中立公正にリスク評価を行う機関」と定義し、「科学的知見」という言葉の意味を「十分なデータ」と同義であると考え、リスク評価は十分にデータが集まらないと実施できないものだと誤解している」

震災以前に上記のような「覚悟」を示してくれていたこの研究者集団。主として食品の安全基準を論じ、時に「地球温暖化」説は疑念の余地なき真理とした上で「原発」のリスクとベネフィットも論じてきたようだ。しかるに、一旦原発事故が起きてしまって後の放射線リスク関連の提言はおしなべて歯切れが悪いのは残念だ。

たとえば上記の批判は、放射能の誠実なリスク評価を避けてきた(内閣官房、原子力安全委員会、文科省、そして食品安全委員会も含めて)様々な機関、そしてリスクアドバイザーなる役職者の姿勢にそのまま向けられても仕方がない状況ではなかろうか?

市村正也 「リスク論批判:なぜリスク論はリスク対策に対し過度に否定的な結論を導くか」 Too risky risk analysis 名古屋工業大学技術倫理研究会編「技術倫理研究」第5号(2008)pp.15-32
http://araiweb.elcom.nitech.ac.jp/~ichimura/risk.html
  
上記は決して長文ではないが論考は多岐にわたる。重要な視点として二つ挙げられている。

1)リスク評価の不確実さ
「リスク論が扱うリスクは、基本的には、対策が必要かどうか議論が分かれるような、小さな、または不確実なリスクであると言ってよい。ところで、一般に小さな・不確実なリスクの正確な評価は原理的に不可能である。」

2)リスク論を使う目的・意図の非対称性
「リスク対策が不要であると主張したいときにリスク論が用いられることが多くなる。そのため、リスク論の問題点を考えるとき、それが本来必要なリスク対策を不要と判断してしまう恐れがないかどうかに重点を置く必要がある。」

さらに独自の論点として「科学的理解の不十分さ以外の、リスク評価を誤らせる二つの要因」を挙げ、これらを本来の内在的リスクに対し「メタリスク」と呼んでいる。 

a) 関係者がルールを破るリスク 

b) 専門家にだまされるリスク 

「水俣病では情報を提供すべき専門家が情報提供しなかったためにリスク対策に失敗したが、薬害エイズでは情報提供を受けた専門家がそれを無視したためにリスク対策に失敗した。どちらのケースも、科学的知識の不完全さのためではなく、専門家の不誠実によって正当なリスク評価が行われず大きな被害が発生した。」

「専門家にだまされて被害を被る」ことを回避するためには、「専門家によるリスク評価を絶対視するのではなく、より一段上のレベルで専門家の主張を相対化して検証し、同時に専門家自体を評価する必要がある」

c) 人々の不安感とリスク論

「原子力発電所の安全性を専門家がいかに力説しても、人々がそれに納得せずに不安を持ち続けるのは、原発に関して繰り返し事故情報隠しや検査結果偽造などの不正行為が行われているからである。人々はこれまで報じられた様々な事件から、関係者の規則破りや専門家の欺瞞の可能性を学習し、それに基づいた不安感を抱く。それは当然かつ合理的な不安である。」

「人が現実に存在する危険なものを恐れているとき、問題にされるべきは現実であってその人の心理状態ではない。上で見たように、リスクに係わる不正行為は実在する。そうである以上、容易に信頼しないことが現実に正しく対応した心理状態なのであり、信頼を問題にするなら、信頼をどうやって生み出すかではなく、安易な信頼が生まれないようにするにはどうしたらよいか、という問いをたてるべきなのだ。」

結論は以下の提言となる。

1) 専門家の主張を相対化する。科学的理解の不十分さから間違えている可能性だけでなく、専門家が意図的に偽っている可能性も考慮し、専門家自体の評価を怠らない。

2) ルールが破られることによるリスクを無視しない。ある程度の規則破りを想定したリスク評価を行い、規則破りがあっても大きな被害が出ないように余裕を持って制度を設計する。

3) 科学技術も社会も可塑的であることを忘れない。現在の科学技術や社会を絶対的な前提にしてしまうと、リスク対策のコストが過大に評価され可能なリスク対策が狭く限定されてしまう。むしろリスク対策の実施をきっかけに科学技術そのものを、社会そのものを変えていくという指向性が必要である。

ここに至って私が付け加える言は何もない。最後に、専門家による「科学的」な「リスク管理」に対置される概念として「予防原則」について触れられている。

「予防原則とは、科学的根拠が不十分でも社会的な合意に基づきリスク対策を実行する、というような意味である。」「ベネフィットとの釣り合いを考えリスク対策を決めるプロセスは、本来は専門家の独断ではなく社会的合意を踏まえて行われるはずのものだ。」

さて、私自身はネット上でダウンロードできた健康手帳というのを印刷してみた。福島県民の健康調査で問診票は手許に残らないから自ら備えるべしという意味だ。飯舘村の一部のグループはすでに独自の行動を起こしていた。

福島第1原発:住民独自で「健康手帳」…飯舘村
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110808k0000e040027000c.html?inb=yt

記事中で「福島県は全県民を対象とした健康調査を今月開始するが、問診票は回収されるため、受診者側の手元に記録は残りにくい」とある。ただ全県民にいずれ何らかの「公式」手帳が配布されるという話もある。いずれにせよ今は落ち着いて事故当時の行動を思い起こし記録にとどめておきたい。「リスク」について多面的に考えながら・・・

2011年8月8日月曜日

児玉教授インタビュー 厚生労働委員会後の提言

あの児玉先生のインタビューが Ustream に載りました。私の感想を結論から申しますと「安全厨」の負けで決着。

先日の国会厚生労働委員会での参考人証言は大迫力でした。原発マネーに染まった「御用学者の巣窟」のように悪口を言われていたあの「東大」の教授さまですから。「権威」や「肩書き」がなければ信用できないという人も、この大学の医学部で「助教」でなく「教授」の肩書きがついてれば(少なくとも日本国内では)たぶん文句ないんでしょう。その東大に27カ所もあるというアイソトープセンターを束ねる「長」である児玉教授が、先日は「御用学者」の「安全神話」をぶちこわし、法整備の遅れと政治家の責任を激高して訴えました。時々目線をあげて持ち時間を気にしているのが気の毒でした。今度はインタビュアーと一対一でじっくり時間を気にせず語ってくれてます。

児玉龍彦(東大先端研教授)×津田大介(ジャーナリスト) 録画日時 : 2011/08/05 16:51 JST
http://www.ustream.tv/recorded/16442790/highlight/192344#utm_campaign=fhighlights&utm_source=1&utm_medium=news

すでに国会証言でも内科医としての知見を披露してくれました。ゲノム遺伝子レベルでの発ガンの仕組みについての最先端知識をかみ砕いて語ってくれてました。

今回は、怒ってません。大変穏やかな語り口です。「前提」を切り替えるのが困難という話から始めています。こんな「すごい」量がはじめに放出されてしまったのでは従来の「線量」基準を問題にしていたのではナンセンス。「どこに何があるか判らない」「面」や「空間」で問題にしなきゃいけないのに放射線源は「点」であるかのような基準をもとに議論をいまだにしてるのが駄目だとおっしゃってます。アルファ線を出すプロトラストや、ヨウ素、セシウム、ひとつずつ違うのに、みんな同一のガンマ線量で危険度を測ろうとしてるのが間違いだと。ヨウ素の問題は一番最初に指摘しなきゃいけなかったのにとも。

週刊ポスト記事で、大気中の「放射線量」が核実験盛んだった頃はもっと高かったというのを根拠に「昔のほうが高かったんだから今度も大丈夫」なんてのんきに言ってるのは「トンデモナイ」と言ってます。猿橋女史の努力によって大気中核実験禁止条約が締結されてパタッと実験が止んだから劇的に減らすことができたのに、今回大量放出されてしまった放射性物質のほうも放っておいても減るかのように思わせる罪深さを指摘しています。「閾値理論」を主張し続ける学説の愚かさ、「ホルミシス効果」は慢性炎で「エピゲノム」が書き換えられ「ガン」につながる前段階の症状だから実際危険きわまりないこと等々、従来は両論あると「原子力体制擁護側」が言い続けてきた論点に、先生個人としてはっきり決着つけた上で語ってます。

「科学者」の人も勘違いしてると。「昔」の人は「疫学」と「統計学」が好きでそれが「科学」だと思ってると。コンピュータの時代の研究者は「予測」と「シミュレーション」で勝負。「疫学」とか「統計学」とか時代遅れ。未来の予測をやろうとしているのが最先端の医療。(誰それと名指しこそしてませんが)なぜ21世紀なのに19世紀みたいな議論してるんだと。

「メカニズム」の証明こそ急ぐべきで「疫学」の証明なんて、終わった後でしか出ないんじゃないかなとも。お聞きしてるうちに、原爆による爆心地からの高線量外部被曝しか考慮しないICRPを批判して「公の権威」から嫌われちゃったECRRの内部被曝モデルがかわいそうになっちゃった。原爆症認定訴訟だってこの10年、ECRRモデルが20数連勝してる事実。考えてみればICRPだって英国厚生省によるCERRIEだって「国家統制からの自由」とか「不偏不党」を保証されなきゃ信用できないわけで本来なら「公的機関」であっちゃいけないはず。緑の党傘下のECRRといい、結局どっちもどっち。

しかるに本日に至るまで、大手新聞もNHKも民放も意固地なくらいにこの児玉教授発言を徹底して無視していますね。小佐古教授辞任報道のインパクトの大きさに懲りたんですかね?

今回のインタビューでは、福島の我々に役立つ提言をいろいろしてくれています。行政の縦割りを批判し、従来の「障害防止法」より「上位」の法律を早急に整備すべしと。さらに国がやる大事な仕事は企業の英知を結集するためのプラットフォーム作りだと訴えています。これは個別企業にはできないと。福島に研究センターを大至急設置して「ベスト&ブライテスト」を集めて競争させて、実効ある施策をどんどん実行していかないととも。市役所ごとに「放射能測定110番」を設置して戸別訪問して測定するのも必要と。今のままで行ったら「利権付き公共事業」にしかならない。熱意と実力ある人に集まってほしいと訴えておられます。

児玉先生のお話は、南相馬市での除染活動に関連して朝日新聞に記事も載っていたんですね。

測定と除染を急げ/児玉龍彦東大教授に聞く   (リンク先のWeb魚拓というのをクリック)
2011年07月01日
http://megalodon.jp/2011-0703-0143-15/mytown.asahi.com/ibaraki/news.php?k_id=08000001107010005

このようにスケールが大きいビジョンが描けて最先端の医学知識に長けた学者さんを、南相馬市だけに独占させておいていいのでしょうか?この方がチェルノブイリの避難時における家族離散の悲劇を語るのには素直に耳従います。

「福島県は有名になっちゃったぞ」「広島も長崎もかなわない。これからはフクシマ、フクシマ、フクシマ」「国が安全と言ったら安全」「県民は国の指示に従ってここに住み続けデータを提供する義務がある」なんて言ってた先生は嫌。ヨウ素の甲状腺ガン誘発を誰よりも一番良く知ってたくせに「マスクしないで外で駆け回っても大丈夫」なんて子供にも吹聴してた先生は絶対嫌だ。児玉先生のような方にこそ福島県のリスクアドバイザーになっていただけないものか。

こんな考えが甘すぎることは、ぼくみたいなのんきものにもうすうす判ってました。東電だけじゃない。国も県も(将来の)賠償をしぶってる。それでなくともドル崩落で世界同時株安。国庫も企業も大損失だ。日銀介入も投入した「円」を巻き上げられて「米ドル」をさらにつかまされただけだった。津波被害に原発事故の追い打ちで、日本国だってすごく苦しいんだ。

「危険厨」サイトには本当にひどい誹謗中傷も多い(かもしれない)が、「安全厨」サイトだって相手方の人格攻撃が結構多い(ような気がする)。主題をていねいに論じるかわりに論点をすり替え「権威」を笠に相手方の人間性を誹謗してるのが結構ある。そういうのは読んでるこちらまでが馬鹿にされてる感じがするのはなぜだろう。

「直ちに影響はない」というのが「何の影響もない」とイコールでないことだけはもう誰にも否定できないはずだ。嫌だけど、悔しいけど現実を認めなければならないと思う。そんなに激烈なものではないだろう。しかし徐々に徐々にぼくらのまわりでこれまでよりは高頻度でいろいろな健康被害が顕在化してくるのは時間の問題ではないだろうか。そんなときに「県民健康調査のデータに基づくと、今回の原発事故とは「科学的」「疫学的」「統計的」に因果関係は認められません」なんて頼りにしていたお医者さんに冷たく言い放たれたら寂しいな。下は「危険厨」と揶揄されるサイトだけど、論理的に細かな経緯がつまびらかにされて納得できるように感じるのはなぜなんだろう。たとえばこのホールボディーカウンター「検出限界」の問題を、真正面から「誤り」だよと指摘してくれる公式見解はあるのだろうか?スクリーニング段階だから「ゆるく」して測っているんだよという見方もありましょうが・・・

福島県民健康調査、WBCでのセシウム137検出限界570ベクレル、尿検査検出限界13ベクレル
Friday, August 5, 2011
http://ex-skf-jp.blogspot.com/2011/08/wbc137.html

児玉先生のような方にリスクアドバイザーになって頂きたいと思う気持ちはおかしいですか?間違ってますか?

2011年8月2日火曜日

「緊急時避難準備区域解除」も間近ですか?

できることなら少しでも早い復興をとは思うけれど、「安全」が確認されないうちは「解除」されても素直には喜べないのでは?放射線感受性の強い幼い子供や若者たちの将来を真剣に考えてくれているのでしょうか?                         

文部科学省が3月と4月のフォールアウト(放射性降下物)の量をようやく公表したようです。 

文部科学省のホームページより
http://www.mext.go.jp/a_menu/saigaijohou/syousai/1305495.htm

このページの下の方の「過去の調査結果」からPDFをダウンロードしてみました。

環境放射能水準調査結果(定時降下物)(平成23年3月18日~6月6日採取)

環境放射能水準調査結果(月間降下物)(平成23年3月、4月) (PDF:45KB)

「月間降下物」の表では、なぜか福島県だけ「分析中」で数値が入ってません。たとえば広野は「ひたちなか市」よりどのくらい高いのでしょうか?人間を入れるから「安全」であることにするというのでは逆ですよね?

本当に何か間違っているのではないかと思いました。